大津修一「死ぬときに後悔すること25」
久々に生死に関する本を読んだ。
以前は死ぬとはどういうことかという内容の本ばかり読んでいたが、今回は生きる上でしておくべきことは何かという観点からこの本を選んだ。
言われてしまえば、当たり前のことが公開の項目に多数あった。
例えば、
・健康を大切にしなかったこと
・自分のやりたいことをやらなかったこと
・美味しいものを食べておかなかったこと
など。
今生きている上で、そんなことを後悔するんだと思った項目は
・感情に振り回された一生を過ごしたこと
・他人に優しくしなかったこと
・記憶に残る恋愛をしなかったこと
・子供を育てなかったこと
・神仏の教えを知らなかったこと
など。
特に自分が生きていく上で大事にしたいと思ったことを書いておく。
・結婚をしなかったこと
結婚は正直してもしなくても良い時代になった、自由に選べる時代である。個人的には結婚は絶対したいとは思っておらず、本当に最高で自分のことを大事にしてくれる相手がいる場合のみしようと思っている。
この考えはこの本を読んでも変わらなかったが、私が驚いたのは、「結婚はある種の生きた証になる」ということだ。
余命数週間の人でも、結婚という形を取る人が多いという。現代の離婚率の高さからすると結婚は100パーセント良いものではない。しかし良いものにすることもできる。だからやはり、大変なことも多いであろうが、前述にあるような相手が現れたら結婚するのも後悔はしないのかもしれない。
その上でまた考えさせられたのが
・子供を育てなかったこと
望んでできるものではないし、できる身体であるかすらもまだ分からないが、どうしても子供となると、自分には子供をまともに育てられる精神があるのか、不自由なく育てられる経済力を持つことができるのかということがよぎる。
これは個人的な考えであるが、子供は決して自分たちのエゴだけで産むべきではないと考える。
母は私に以前こんなことを言った。
「産んでくれてありがとうなんて思わなくていい。私が好きで産んだから。」と。
私の場合は親に感謝はしなければいけないとは思うが、このような考えを持つ母を尊敬する。産む決断をしたのは親で、子は生まれる決断をしているわけではない。私がもし子供を持ったとした時も、この考えは絶対に忘れてはいけない考えだと思う。
子供を産むという行為は、親のエゴであるからこそ、私は自分史上最高の状態や環境で親になりたいと思っている。
子供を持たなかったことは人生の後悔になる人は全員とは言えないが、子供を持って後悔したという人はいなかったと記されていたことは覚えておきたい。
芸術に関わる人間だからこそ心に残ったことは、
・仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
・自分の生きた証を残さなかったこと
である。
生涯学習に関わっていきたい身として強く思うのが、趣味が生きがいになるということ。何歳になっても始めるのに遅いなんてことはなくて、趣味はなくてもいきていけるが、あれば楽しいということだ。
そしてそれが生きた証となる場合もある。死ぬ間際に自叙伝を執筆する人もいるというのも、やはり自分の死は無意味なものであったということにされたくない、価値のあるものだったとしたいことの表れのようにも感じる。
こうして、スマホでなんでもできる時代だが、肉筆の文章も残しておくべきだなと思い、字を書くようにしている。それを誰かが読むとは限らないが、まだ二十歳とはいえ何が起こるか分からないのが人生であるから。
自分の生きた証を残していくという意味でも、今しているか芸術活動は無意味なものではないと感じる。
この本を読んで重要だと思ったことをざっくりと言うと、
・やりたいことをやること
・大切な人に感謝の念を伝えること
・諦めることがない限り可能性はあること
である。
読んでみると気づかされることも多かったが、ごく当たり前のことである。しかしこれらのことを成し遂げることはひどく難しいことだと感じる。自分の思い描いてた普通は遥かに遠い幻想のようなものであったとこの歳になってわかる。
今生きている日々を大事にしながら生きることの難しさと重要性を感じた。
この人生で良かったと思えるようになりたい。
キキ フジモリ
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