自由は誰から与えられるものか

 

自由というものが少しずつ分かり、それを求め続けて生きることができている今
自由とか生きるとか死ぬとか、意外とみんな考えずに生きているというのに気づいたのが最近だし、そんなに暗くならなくても生きれるみたいなこと言われたこともある


いや、私はネガティブな意味で生きるとか死ぬとか考えてない
純粋に最後はみんな死ぬのにどうしてこんなに生きなければいけないんだろうとか思う

 

ただ、考えが極端であるということだけは認める基本的に0か100しかない

 

 

高校生の時から家でひいおばあちゃんが介護されていて、大きい病気ではなかったけど、100歳近かくなっていたし老衰で亡くなった
80歳くらいになっても一人で東京行ったり、オシャレや切手好きで元気だったひいおばあちゃんを見ていたからこそ、目の前で弱っていく姿を見たくなかった


私はそのとき高校3年生で人生の岐路に立たされていたわけだ

だからめちゃくちゃ元気で生きていても、最終的にそれすら忘れて、家族に迷惑かけながら死ぬのに、どうして私は大学受験しなきゃいけないんだろう、働かなきゃいけないんだろうと思った


生まれて来ることは正しいのかとか、自分が子供を産むとなった時に、自分の子供が私と同じように死に近い生を考えたりしたら、産んだ自分を責めてしまうなとか
行動を制限されたことはないけど、自分の家がもっとこうだったらとか普通を求めてしまうとか


めちゃくちゃ考えて受験どころじゃなくなったりして、たぶんクラスで一番進路決まるの遅かった


生まれてきて良かった、生きてきて良かったとキキフジモリになってから思えたので、今は死にたいとかは思わないけどさ

 

 

自分の自由を奪われるという経験を長くしていて、それが終わってようやく自分の自由は誰かから与えられるものではないと知った
自由を奪われていたあの時間は一生戻って来ることはない


だけど、その反動で今まで以上に自由を求めて生きることは間違っていないという確信を得た

 

 

人を傷つけてまで得る自由に価値はないと思うけど、勉学に関係ないつまらない校則とか
に従わない自由は全然あるし、男子学生の髪は長いとダメとか女子学生のスカートが短いとダメいうのは、男子学生の髪を短くしたり、女子学生のスカートを長くしたら学力上がるんですかと聞きたいね
しょうもない、だけど学生時代にはそれがしょうもないし、意味のないことだというのに気づけず従っていた自分が可哀想だ

自分の好きで髪短くしたり、スカート長くしているならいいけど、そうじゃない場合は学校というものに権力を持たせ、支配しようとする大人の気持ち悪さとやらしさに従うことになってしまう

 

高校は校則がほぼない学校だったけど、髪を染めるのは禁止で、でも学校楽しくなかったから、せめてもの楽しみで茶髪にしてた
でもまあゆるい学校だから全然注意されなかったんだけど、クラスの男子に笑いながらチクられて先生から注意された、キモ
先生自身に注意されるならまだしも、チクられたから注意されたのが超ムカついた
チクるくらいなら面と向かって言ってくればいいのに


私は黒髪に戻したところで精神がまじめになった訳ではなかったし、学校のつまらなさも変わらなかったよ

 

 

子供も女も人間だよ、大人が上で子供が下なんてないよ、歳上を尊敬はするし失礼な態度はとらないけど、言ってしまえばただ先に生まれてきただけなんだよ年齢なんて
職業的な意味で上下関係が出るならまだしも、若い女が一番下だと思って頑なに道譲らないおじさんとかザラにいるから
あなたと私はいわば無関係なのに、なんでそんな偉そうな態度取られなきゃいけないんだよ

 

私はそう思うので、高校生の時とか後輩に呼び捨てで呼んでいいし、敬語も使わなくていいって言ってた
高校生なんて三年だけしか歳変わらんし、もう大人だけど、別に失礼なことされなければ、プライベートな付き合いなら全然タメ口でいいし呼び捨てでいい


だからこそビジネスメール書けない大人からのメールには引いてしまうし、子供を利用しようとする大人は全員地獄に落ちてほしいと思う

 

 

私の自由を気づかせてくれた尾崎豊の「卒業」で
「仕組まれた自由に誰も気づかずにあがいた日々も終わる」
っていう歌詞がある
校則は仕組まれた縛り、自由の象徴だ


仕組まれた自由があった学校というものを飛び出したら、社会に仕組まれた自由にしたがって生きるのか
もちろん犯罪を犯したり、人を傷つけてはいけないけど、会社や学校で出会う人なんて、その場から離れたら、一生会わない人がほとんど


なのに身近な学校の人や会社の人の目を気にして同調圧力に負けて、自分でない人間として生きることは、自由ではない


自分として生きて、自分として死ぬ
そうしたら何人かだけど、本当の意味で側にいてくれる人がいるから

 

生きる死ぬとか散々考えたけど、もう生まれてきてしまって、最後は全員死ぬから、自分の人生生きようというのが私のたどり着いた答えなので、誰も持っていない自分だけの人生を歩んでいきたい


年齢や性別、職業というのはただの形は本質的な意味であなたではないし、それに縛られて我慢する必要はない


自分の人生を歩むのは自分しかいない
自由は自分で掴むものだ
そして私はいつも自由に生きる人の味方でありたい