自分の不適合さを知る

 

長野での生活で心身ともにだいぶ元気になったのであんまりマイナスなこと書きたくないけど、大学四年生で就活とかも特に何もしていない自分は別に悪くないけど、その先のことがまだ不透明で意思が強いわけでもないから尚更自分マジで気持ち悪いなと思う
そういう学科じゃないけど、絵が描けない美大生というコンプレックスを払拭するために絵画教室に行ったり、興味のある生涯学習プログラムに参加したりして色んな友達できたり、プチ旅行たくさんしたり、完全セルフプロデュースのものが作りたくてセルフポートレートやら文をまとめたものを作ったり、本気でやらないと卒業できないから大学の勉強もしっかりやって、バイトも楽しくやってて、でもなんだか物足りない感じがしてしまう

人生で一番辛かった、カルト集団から抜け出せなかったときは自分と自由がほしくて、自由と自分が少し分かるようになった今、結局のところ自分が何を求めているのかが分からない

別にもう死にたいとか生きている意味ないとか思わないけど、楽しい時間が終わった時の虚無に耐えられなくて、終わることのないTwitterをずっとみたりしている

楽しい時間が終わらないでほしい
終わりが来ないでほしい

久々に自分を殺された事件から2か月経って、立ち直ったけど、そういった加害によって私が他者に怯えて生きてしまうのは私がいけないのですか
若い女という要素だけで、楽しく生きていて反感買われるのは、若い女である自分が悪いわけじゃないのに、自由を他者に潰された長すぎる時間は取り返しがつかない
女という性の部分だけで、特有の危険な目に合ったり、能力の有無に関わらず下に見られたりが当たり前の世の中が気持ち悪すぎて吐く
でも私が今生きているのはこの気持ち悪い世の中なんだ

美術に理解のない大人は、私のことを扱いづらい子だったり変な子として見ていることがすぐにわかる
だからって今更社会に適合するために自分を殺すことはないけど、平和な地獄へ導かれているあの感じが苦手だ

「自由でなければ意味がない」
という尾崎豊の言葉が大好きで大事な言葉で、だからいつも自由を求めていて、同調圧力に負けず、やりたいことは全部やって生きていこうとしているけど、そもそも今私が自由にできているのは親とか周りの人のおかげで、それって自由の範疇なのかとか問う

あと、一生分かることはないかもしれないけど、自分というものがわかりたい
自分がどういう人間で、自分が何をしたいのか

私は他者に傷つけられたことを引きずってて、やっぱり明るく生きたくても100%明るく生きれないから、自分の暮らしが一番自分を傷つけると泣いてる、って本当にその通りで、全て自分のせいにして死ぬよりも人のせいにしてでも生きていた方がマシだと思うから、ゼロには戻れたような気もするけど1にはなれていない

私の将来の夢は、カルチャーになりたいってずっと言ってるけど、それもそうで、最近気づいた自分がすべきことは世界平和だというのに気づいた
世界を平和にするために自分は生まれてきたと勝手に思い始めた
世の中を変えたい

夢が大きすぎて何していいか分からない現状だと思うんだけど、何事も少しずつしかできないんだよね多分

まずは気持ち悪い自分とさようならしない(自分のことを気持ち悪いと思わなくなること)と自分が持たないから、そこからだね
自尊心が欠けているとは別の意味合いの、自分が気持ち悪いという感情
自分という人間に価値がないという意味ではなく、やりきれてない感が気持ち悪いし最悪

何も考えずに楽しく生きれたら良いんだけど、それはどうも無理そうなので、考えながら生きる
生きたい